迫害ゲーム
率直に言うと、私はクラス内で『迫害』を受けています。
いじめではないのか? いいえ、違います。『いじめ』と『迫害』は全く違うモノなのです。
大層な物言いの割に辞書よりの引用で申し訳ありませんが、
前者は【弱い者が強い者に苦しめられること】です。
とんでもない!
同じ人間に強い弱いがあるものでしょうか。
やはりこれは『迫害』としか言いようがありません。
それに『いじめ』などという低俗な言葉を使ってしまっては、
たとえ加害者であろうとも、クラスメイトはクラスメイトですから失礼ですしね。
さて、私がどのような『迫害』を受けているかお話しましょう。
その前に、なぜ私がこんなにも飄々とした語りぶりでいられるのか、
気になられることでしょう。
それはとんだ勘違いです。
私の頭の中は戸惑いでいっぱいです。
私は基本的に雄弁ではなく寡黙な方の人間です。
そんな私がこのようにぺらぺらしゃべっている。
私の動揺の立派なあらわれです。
ああ、話が逸れてしまいましたので仕切り直しましょう。
『迫害』についてですが、私は肉体的な苦痛は今まで与えられてはいません。
つい数週間前、一日欠席はしてしまったものの、
翌日にもひきずってしまった酷い頭痛に悩まされながら決死の思いで登校した日のことでした。
なんと私の机の上に素敵な花が置いてあったのです(もちろんこれは皮肉です)。
机の上の花が、たとえば、そう、
メロドラマな洋画のホームパーティーで小粋な招待客が贈るような薔薇の花束なら私も胸ときめくでしょう。
しかしながらそれはまったく違いました。
陶器の花瓶に菊の花。
まるで私が死んでしまったとでも言うように。
当然、私はおろおろとしましたが、誰一人私の方を向いてはくれず、
私の言葉に耳を傾けてはくれませんでした。
私が欠席した、たった一日の昨日の間にこのクラスに何があったというんでしょう。
その日、朝のホームルームで救世主となる担任の先生は
私と机をちらりとみて、それから何も言いませんでした。
そんな、と思いながらも私は妙に心が冷えて行くのを感じました。
よく小説や漫画、ドラマなんかでありますよね。
かばった人が新たな標的になるという展開。
きっと先生だってこのクラス内の迫害ゲームの一員だったのでしょう。
私は目の前の花を見つめます。
せっかく綺麗に咲き誇ったものの、こんないじめ、いえ『迫害』に使われて、
かわいそうなお花。
私は急にその花たちが愛しくなり、結局彼らを捨てる事ができなくなりました。
そうして過ごしながらも私は平気な筈がありません。
これでも、とても強いショックを受けているのです。
私の声が、本来届く筈のこの声を、クラスメイトにきちんと聞いていただきたい!
私の存在を世界から追放しないで欲しい、と。
知ってますか? 無視ほど酷い事象がないということを。
無視とは存在を殺すことなのです。
できることならどなたか私との会話を試みて下さい。
そんなことを虚空に訴えても仕様がありませんね。
まずは事実を見ていただきましょう。
私の大事な戦友である、私の机のお花たちも紹介いたしましょう。
私は自室から階下へおります。
朝ご飯は食べません。
用意されていない上、健康に悪いと分かっていながら食欲がないのです。
父も母も、クラスメイトと同様に私の存在をさも当然のように知らん顔します。
でもそれは昔からで、一番という称号を持つ私が好きだった彼らは、
前の考査で学年順位の一を取り損ねた私を避けているのです。
次の考査で挽回しなくてはなりません。
ああ、気が重い。
一番はなかなか難しいものです。
──そんなわけで私は台所にいる両親に朝の挨拶をしなければ、
いってきますと告げることさえせずに玄関の扉を開きます。
がちゃり。
ああ、今日もいつもと変わらぬ晴れ間が覗いている。
今日も廊下にひしめく同級生の合間を縫って、私は自分の教室へ向かいます。
無論、振り向く人などただの一人さえいません。
私も呼吸だけして、その前を通り過ぎます。
教室の扉は開きっぱなしになっていて、私はホっとします。
基本的に毎朝この扉は開きっぱなしになっているのですが、
もしも閉じていて自力で開けなければならないと思うと、ぞっとします。
閉まった扉を開ける際の、ガラリと響く音。
その音が響くと、みんな一斉に口を噤んで振り返ります。
クラスメイトならば、「おはよう」。
先生だったら、みんなガタガタと席に着くのでしょう。
私だったら、きっとみんなクスクスと笑って、私を無視するのでしょう。
私はすっかり被害妄想の達人になってしまいました。
とにもかくにも、教室へ入らないことには私の時間は進みません。
入室します。
誰も振り返りませんが、どこからか嘲笑のようなものが聞こえてくるように感じて、
私は胸の奥がむかむかしてきます。
この、居心地の悪さ。
何日かけて、私はこの感覚に慣れることができるのでしょうか。
あれ。
私は机の前で足を止めました。ちなみに私の席はグラウンドに面した窓側の一番後ろです。
余談ですが、授業中にぼうっと窓の外を見るのが好きです。
机の上に、お花がありません。
もしかして、誰かが持って行ってしまったのでしょうか。
そろそろ枯れ始めていたのが原因なのか、
それとも捨てない私をつまらなく思って処分したのか、
私には結局分かりませんでした。
残念です。紹介したいと思ったのですが。
私はやや拍子抜けしながら、机の上に鞄を置きます。
それから、そっと椅子に座ります。
今、校内で私の居場所はここだけで、私の存在を感じてくれるのはこの机と椅子だけです。
なんだかとても窮屈ですが、それでも無いよりはずっとずっとマシだと言えましょう。
ほっと落ち着いていると、始業のチャイムが鳴り響き、教室の教卓側のドアから先生が入ってきます。
私の救世主となり損ねた先生。
私の予想通り、みんながガタガタと席に着きます。
その従順にも似た動きが、なんだか滑稽だなぁと私はぼんやりと見つめます。
挨拶の号令を学級委員がかけようとしたのを制して、
先生は教室に一人の男子生徒を呼び寄せました。
とたんに教室中がざわめきます。
私も顔を上げて彼を見ます。
違う学校の制服。
この学校は、男子は学ラン女子はセーラー服というデザインですが、
彼は見慣れない深緑のブレザーを着ていました。
まじめそうで、でもとっつきにくい感じはしない、なかなか好印象の少年です。
先生が軽快な音を立てて、彼の名前を黒板に記していきます。
小暮君というらしいです。
おそらく彼と言葉を交わすことないでしょうが
(なぜなら、
ホームルームが終了し次第、恒例どおりにみんなが彼の元へ集まって、質問攻めにし、
それに便乗して今クラス内で行っている私に対するゲームのことを伝えるからです)
私は一応彼の名前を覚えておきます。
「じゃあ、小暮、席は、あの、一番後ろの席だ」
のうのうと、彼を見つめていた私は、なんですってと言わないばかりに眼を見開いてしまいました。
先生が指差したのは、まさにこの、私のテリトリーです。
ありえません。
クラスメイトがちらりと私を見やります。
ああ、また聞こえてくる。
私に対する嘲笑が。
全く、なんだって私がこんな目に遭わなくてはならないのでしょう。
先生に抗議したい気持ちです。
小暮君も私を見て戸惑っているじゃあありませんか。
「あの席ですか?」
思わず問うてしまったのでしょう、小暮君は先生を見て言いました。
先生は、「あの席だ」と深く頷きながら肯定します。
あの席だ、ではありません。
あまつさえ、先生は「早く座れ」と小暮君を急かします。
ああ、すみません小暮君。突然巻き込んでしまって。
先生も先生です。
私は先生を睨みます。
先生はしばらく無表情に私を見つめ、それからそっと視線をそらしました。
小暮君が近付いてきます。
どこからか「どけよ」と聞こえた気がして私は思わず反射的に立ち上がり、
鞄を手に取ってしまってから、あれ、と思いました。
私が退く必要はないのに。
でも、体が反射的にしてしまいました。
もう遅い。小暮君は私の席を取ってしまいました。
ちらりと、席を追い立てられた私を見ます。恥ずかしい。
とてつもない羞恥心が私の頭の中を駆け巡ります。
先生が連絡事項を口走ります。
その間、小暮君は不可解だというような視線をこちらに何度も向けました。
ムリもありません。
自分の存在範囲を失くしてしまった私は、ただ立ち尽くすだけ。
教室の後ろで。まるで、参観日のお母さんたちみたいに。
小暮君の視線。私の一人ぼっちのつま先。私は、それはそれは滑稽でしたでしょう。
ああ、遠くから聞こえます。
遠くから、耳鳴りのように響きます。
不快に私は顔を顰めます。
鳴り止まない。
鳴り止まない。
嘲笑が。
席を失くした私に、居場所はありません。
だけれども授業を受けなくては、次回のテストでの一番は望めません。
他の先生に「どうしたの」と質問を受けるのも恥ずかしいし、
ツンとすまして私が立ち尽くしてるのを無視されるのも、いただけません。
ょうがないので私は鞄を持って教室を出ました。
解説はありませんが、しようがありません。
自習をするより他はないのです。
私は虚しさで胸をいっぱいにして、
吐いても吐いても口の中に充満する溜息をどこにもやることができません。
一時間目が始まるチャイムが聞こえます。
私は独り、廊下を歩き、図書室へと転がり込みます。
この学校の図書室はいわゆる逃げ込み場所で、
知能的な障害のある方や、クラスに溶け込めない生徒が数人います
(本当に数人です。小中学校の頃はもっといました。高校はそう優しくないということでしょうね)。
保健室登校という言葉を耳にしたことはありますよね。
それの図書館バージョンだと思ってください。そのままです。
司書の先生は、新参の私に眼もくれずに事務をしています。
私は窓際の席に座りました。自習を始めます。
もしも私に両親からの期待という重荷さえなければ、このまま町へ繰り出すのに。
両親なんか気にするなと言う声も聞こえます。
でも、私にはできないのです。
だって私を育ててくれたのは両親なのですから。
それに、両親が私を、そう教育したのです。
自分たちのために一番を狙う子供として。
自分たちのいうことを聞かせるための子供として。こ
の刷り込みは、一生続くのでしょう。
とても不快な日々がまた続きます。
転機が訪れたのは、小暮君が転入してきて三日目のことでした。
私はずっと図書室への登校を続けました。
気づいたのですが、図書館は温度が快適に保たれていて、なかなか居心地がいいのです。
教室にもゼヒ冷暖房を完備していただきたい。ああ、でも教室を追い出された私には不要ですか。
違う空間で生活している私は、小暮君とは、本当に全く関わることはありませんでした。
だから、今、中庭の、人気のない校舎の影で一人お弁当を食べるでもなく
座り込んでいる私の目の前に立ったのが彼だということにすぐには気がつきませんでした。
地面を見つめていた視界に他人の足が入り込んできて顔をあげた私は、
きっとほとんど放心状態だったでしょう。
間抜けな顔を彼に晒してしまいました。お恥ずかしい。
「笹井さん?」
私は首を傾げます。
いつの間に彼は私の名前を把握したのでしょう。
もうずっと呼ばれてなかった私の名前は、なんだか他人のようでした。
久々の、人間との対話に私の頬は思わず緩んでしまいます。
「こんにちは」
何が、こんにちは、なんでしょう。
れほど間の抜けた受け答えはないでしょう。
だけど彼は困った顔一つせずに、真摯な視線で私を見つめてきました。
こうして向かいあって誰かとお話しするなんて、本当に久しぶりです。
私はドキドキしましたが、その高鳴る鼓動を、彼へ芽生えた思慕だとは勘違いすることはありません。
私は冷静に彼の訪問を喜んだだけです。
「笹井さんだよね、俺、小暮……」
「うん、知ってるよ。転校生の小暮君」
「そっか」
「だって一度会ったでしょ」
「そうだね」
「で、私に何の用事?」
「ああ、あのサ……」
そう言いながら彼は言いにくそうに私から視線を逸らした。
私はもう、どんな用事だってよかった。
少しだけ待たされて、小暮君はやっと用事を口にしてくれました。
「君はいつまでそうしてる気なのかな、と思って」
「……え?」
何を言っているのか分からなくて、私は首を傾げました。
小暮君は分かりやすい、それでいて私が傷つかない言葉を見つけようとしたらしく、
横を向いて首の後ろを掻きます。私はじっと小暮君を見ました。
「いつまで、こんなところにいるつもりなんだい?」
ううむ、どうにも彼の言葉は遠まわしすぎて私には理解できません。
「それって、どういう意味?」
「……だからさ、………────」
まるで、大音量のテレビを真夜中にプツリと消して閉まったような感覚。
爆音の後の、一瞬のような感覚。
全ての音を捉え損ねて、私は薄い、可愛くもない笑顔を凍りつかせた。
「え、?」
驚きました。
彼もまた、教室中に充満している私に対して発生した黒い病に犯されてしまったようです。
わざわざ参加表明をしなくてもいいのに。
きみは ここに そんざいしているべきじゃあ ないんだよ
まるで子供に言い聞かせるみたいに彼はそう言った。
私の唇は小さく震えて、まるで言葉が出てきませんでした。
何と返していいのか分からない。
ただ、ほとんど初対面の彼にそんなことを言われて、
私は戸惑うとか怒りを通り越して、頭の中が真っ白になる。
不思議と唇はまだ弧を描いている。
「この学校では、見たくなかったんだ。
君には早く消えてもらいたい。ねぇ、もしかして忘れてるのか?
失礼だけど、君のことはクラスメイトに聞いたよ。
君もつらい思いをしたんだろう。今更救ってあげることなんかできないけど、
君はせめて、成仏するべきなんだ」
成仏! そこまで言うことないではないか。
私は、耐えられなくなって彼を睨む。
なんて失礼な人なんだろう。
初めに感じた好意はなかったことにしよう。
小暮君はまだ喋り続けている。
一度溜息をついて、彼は仕切りなおした。
「忘れているの? 君は三週間前に死んだんだろう? 理由はよく知らないけれど、
友達の話だと、両親とのトラブルが原因らしいね。
部屋で首を吊ったんだろう? 覚えていない?
君はここにいるべきじゃあ、ないんだよ。分かる?」
死んだ? 私が? 両親とのトラブル? 部屋で? 首吊り?
私の頭の中でぐるぐると過去がフラッシュバックする。
両親からの強い期待と、冷たい視線。
一番を保てない普通の私に対する、暖かさの欠けた視線。
詰め込んでも詰め込んでも吸収してくれない私の脳みそ。
徹夜して勉強した。
授業中に眠るようになって、教科書の中身がどんどん分からなくなる私。
迫り来る恐怖。
次のテストは。必ず一番を。
次のテストこそ。
教科書を開く。
記号の理解ができない。
公式の理解ができない。熟語が覚えられない。
ぐるぐるぐるぐるぐる。
楽になりたい。
そう思いついて、ふっと肩が軽くなった私。
はっと何かに気づいて私は息を吸い込み、ピンと背筋を伸ばして虚空を見上げました。
どうしても気が散るから処分しようと思った漫画や雑誌や小説を縛ろうと思って持ち出したビニールの紐。
ぐるぐると何重にも重ねて頑丈にして。
縛る前の本たちを足場にした。
足場の本を蹴り倒した直後の、ガクンという全身の力が抜ける感触。
苦しいと思う前に、楽になったと感じて、首の力が一気に抜けた。
喉の奥から舌が出る。
全身がビクリと痙攣して、なんだかとても、ああ、と快楽任せに唸りたい気分になった。
楽になりたい。
楽になろう。
楽になれた。
遺書も何も、書く暇がなくて。ただ衝動で。
私はあの日、本当に頭痛で学校を休んだのか。
その翌日の頭痛は、もしかしてこの世に目覚めたときの、寝起きの感覚だろうか。
机の上の花。
誰もが私を見てくれない。
無視。菊。迫害。ゲーム。嘲笑。耳鳴りが迫る。私はそっと耳をふさいだ。
「あ、……わ、私……」
「思い出した?」
小暮君の声は、まるでフィルターがかかったように聞こえた。
水泳のあと、耳の中に水が入ってしまったときのような。
ごわごわとした。
「私、なんてことを……」
震えるように呟く。急に怖くなってしまった。
それじゃあ、私の居場所は? もともとここには無かったということなのでしょうか。
小暮君を見る。
小暮君は何故だかあっさりした顔をして、淡々と私を見てる。
その視線は、冷たい両親の視線よりも、
ちらりと見てくるクラスメイトの視線(これは多分私の気のせい、ということなんだろうけれど)よりも、
ずっと怖かった。
「いや……」
私は、死にたくなんてなかったのです。
本当に、お父さんとお母さんに認めて欲しかっただけで、先生の褒めて欲しくて、
クラスメイトともっといっぱいおしゃべりをして、彼氏とか作ってみたりして。
小暮君は、肩の荷が下りたように、少しだけ微笑んで私を見てました。
「僕さ、君みたいなのに会うのは初めてじゃないんだよね。
大抵の子はさ、自分が死んだことを忘れてるんだ。
思い出したら消えちゃう。君も思い出したから、消えちゃう」
ゾクリとした。
爪先が、痺れたみたいに感覚がなくなる。
両親の期待よりももっと切迫した恐怖が私を襲います。
小暮君はにこりと笑いました。
それから小さく手を振ります。
私は愕然とします。
愕然としたときの感覚は、私があの日意識を手放す瞬間の脱力感にとてもよく似ていました。
笹井という女子生徒が消えて、彼女が座っていた場所に、小暮は腰を下ろす。
「僕はね、笹井さん」
空を見上げる。
天国だとかそんなものを信じてるわけじゃないけれど、なんとなく死者は頭上にいるような気がする。
「前の学校で『迫害』を受けてたんだ。みんなに見えないものが見えるからね」
だけどいきなり君が見えるから焦っちゃったよ、と彼は喉を鳴らして笑った。
終わり
これは高校三年生のとき。
そのとき読んでいた本にえらく影響されてますけど
案外高評価をもらったことだけはよく覚えてます。
私も案外好きだけど。
でも、なんだか病んでるのかしら私と思う。