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戦場の詩
行き交う軍人と。飛び交う光線と散弾銃。
その群れの中で不意に少女の体が派手に飛んだ。
は、とスイコは顔をあげて、反射的にその少女に駆け寄る。
「アユ!」
ときは二十三世紀。対コンピュータ戦争が開戦されてもうすでに六年の歳月が通り過ぎて行った。
驚異的な早さで普及したコンピュータは今や人間の敵である。この日本に存在するコンピュータの数は、もはや人間の数と同等、もしくはそれ以上だ。
百数年前の日本という組織は欲深く、環境問題などは二の次で、次々と新たなコンピュータを生み出した。
ときを重ねるにつれて出生率が低くなり、人口が急激に減る事態はずっと前から予測されていた。そこで政府は考えた。特別な女――例えばIQが異様に高かったり運動能力に優れていたり――を三人日本全国から収集し、その女の3つの子宮内での人工授精と、子の大量生産。女の需要が高くなったことにより、子は出産できないが体の6割は機械である女をさらに大量生産した。それは男たちの欲求を満たすために作られたものだ。
そうして今や人間の5割はその人工体も含めて女で、その5割のうち2割の女は、ロボットなのだ。
天候も、大気誘導ロボットなどを使用している。雨と晴天の日の1年間の割合を考慮して、さらに雪を降らせる日は年に何度かも決めた。
というように、とにかく見渡せば機械ばかりなのだ。
そうしていくうちに、数百年前の人間たちが恐れていた事態が起こった。
コンピュータが意思をもち、人間に反抗を始めるということ。
「アユ! アユ!」
頬に熱がこもる程、全身を使って呼びかけたが、少女の小さな体からだ着々と熱が奪われ、遺言を残すことすらも許されない――即死だ。
胸元に、直径5ミリにも満たないが空いている。敵の発射する光線が見事に人間の急所を貫いたのだ。
その一瞬の死に目を見開いたままの友人の体を、スイコは下唇を強く噛んで抱き締めた。
アユ…っ
そうしている間も、たくさんの足が駆け回る。
ここは戦場だ。仕様が無かった。
スイコは懐から無線を取り出す。
「こちら、R03‐JM001 スイコ。たった今、年少部隊より1名戦線離脱。こちら、R03-JM001 スイコ」
通信回線は何にも阻まれることはなく、上層部の人間へと届けられる。
「R-JT002 アユ・タツミの死亡確認」
感情のこもらない声で、スイコは繰り返した。
スイコ・ムロイはIQ・運動能力ともに秀逸で、部隊一の出世者だと言われている。若干?の少女にして、対コンピュータ部隊右翼部参謀長官兼年少部隊長なのである。
対コンピュータ部隊というのは、その名の通り、コンピュータに対抗する民間組織である。総督に始まり、右翼部隊と左翼部隊にわかれ、定員177名で組織されている。もちろん全員純粋な人間である。初期177名であったこの組織も、今回の損害を数えて8割を失ったこととなり、今は35名という計算になる。民間から取り入れればいいのだが、それでは人間の需要が追いつきはしないし、半コンピュータ体に紛れられては迷惑だ。それに、今や以前からおそれられていた日本の壊滅が近いときている。もちろん、他の国もこういった事態に陥っているので助け合っている暇はない時代だ。
そして、この部隊の(初期メンバーの)2割は、例の3人の女から生まれた、もともと遺伝的に考えて能力の突出した人間なのである。
未だ生存が確認されている35名のうち半分近くは、その大量生産された子供達である。
「左翼部隊が、ほぼ壊滅状態らしい」
「あと、何人なの」
「総督と左右合わせて35人」
「そう……」
少女――アユの弔いを済ませて、スイコはそう報告して来た右翼部隊総督兼年中隊三番隊長であるイツヤとそう会話した。
イツヤは二十五歳で、気さくで前向きで、IQ・運動能力とともに優れている所以で部下たちからの人望厚い好青年だ。
「あたしたちは、負けるのかしらね」
友人の死で、弱気になっているのかもしれなかった。スイコは普段決して口にしなかった言葉を、不意に吐いた。
「部下が言ったら、殴り飛ばすんだろう? スイコは」
軽く肩を竦めて、イツヤは軽口にそんなことを言った。
スイコは答えない。
以前のスイコならば、そう弱音を吐いた部下を思いきり張り飛ばしていたところだった。
それでも、スイコが入隊して一年と二ヶ月、対コンピュータ部隊の勝利らしい勝利は一度も無い。弱気になるなというのも、難しい注文であった。
「策が、無いのよ」
窓際で、スイコは外を見ながらそう言った。
空を見上げればタールのような色をしているし、地面を見下ろせば機能しなったコンピュータと人間の残骸が積まれている。
軍部会議では、参謀として出席している若干十七歳のスイコだが、最近はどうも下手なことは言えず、発言回数が少ない。参謀という肩書きに恥ずかしい思いばかりしている。
「何をどうしても、こっちの犠牲を出さずにはいられないの。あたしの策で、もう何人も死んだわ。あたしが殺したような……ものだわ」
みっともない。
よほど友人の死が応えているのだろうとスイコは思った。
頭が痛い。気が遠くなるような感じがした。
イツヤの視線を背中に感じて、その哀れんだ素直な視線を、スイコには正面から受け止める勇気がなかった。
「スイコ」
普段より幾分低い声で、イツヤが言った。
スイコは振り向かないし、何、とも聞かない。
イツヤは少しだけ時間を待って、それでもスイコは振り向かないので、小さく溜息をついて続けた。
「お前らしくないだとかお前のせいじゃないだとかそういう言葉を望んでるわけじゃないんだろう?」
言ってもらえたら、気が楽になるかもしれない。
それでも、きっとそれと同時に頭に血が上るだろう。
そんな言葉はいらない、などと逆上してしまうかもしれない。
イツヤは分かっていて、あえてそれを口に出して確認してくる。
「だけど、俺にはそれ以外の言葉は言えないからな。俺はバカなんだ」
結局茶化して、イツヤは言った。
スイコは、なんだか安心した気持ちになる。無理に言葉をひねり出して、慰めようとしてくれるより、叱責して前を向かせようとする連中より幾分ましだ。
スイコは、そんなイツヤにだけは、部隊内でも一番信頼していたし、好意を寄せていた。
「イツヤ」
「なんだ?」
「アンタは、賢いよね」
「バカだって、言っただろ?」
苦笑して、イツヤは言う。
「アンタが参謀をやればいいのに。総督に進言してあげようか」
普段から口を引き結んで難しい顔をしている割合が少ない――悪く極端な言い回しをすれば、無愛想な――スイコが笑うと、なんだか少しぎこちなく見える。
イツヤは、それはそれで愛嬌があると思っているが。
ようやく振り返ってそう苦笑したスイコに、イツヤは少しだけ肩を上げた。
「やめといた方がいい。俺は私情を挟み過ぎる、きっとそう言うぜ、総督サンもな」
戦場で死に、体がバラバラになった者以外は、その体を冷凍保存することになっている。
当初はいちいち地中に埋めていたが、その手作業中に襲撃されてかえって屍骸が増えたり、埋めた屍骸を掘り起こして改造する非情な機械たちがいるので、それはやめることにした。
コンピュータたちは自分たちが人間よりも有能であることを知った。そうしてコンピュータたちが知能を持ったのは数年前だ。
当初、コンピュータを作ったのは人間だからこそ、人間はコンピュータより優位だった。そのコンピュータの急所である【核】を知り、壊せるのは製作者である人間だったからだ。
しかし、知能を持ったコンピュータは、長年傍にいた人間が、子孫を残しているという現象を発見し、覚えた。そしてコンピュータの欠点である、《人間に製造された=人間が自分たちを壊すことが可能》だということを克服する術を知った。自分たちが、自分達の子孫を作ればいいのだ。コンピュータが自分のプログラムを使用して新たな機材でコンピュータを作る。地中に埋められた人間の屍骸に色々埋め込んで、自分の子孫にする。
そうして作ったコンピュータの内部構造を人間が調べる術もなく――用意に近づけば殺されてしまうのだ。何しろ新たに生まれたコンピュータはどこから対人間用の光線を飛ばすか分からない――それから人間は、優位な立場から不利な立場へ真っ逆さまである。
そうであるから間諜に調べさせようにも、新参コンピュータのプログラムを知ることはできない、コンピュータが新たにコンピュータを作った、ということしか調べようが無いのである。
スイコは、暗い部屋に入った。
電灯はぼんやりとした、青白い光だ。
《R-JT002 辰巳 歩結》 というコードを発見して、そのカプセルの前にスイコは立つ。
「アユ……」
瞼を閉じられたアユ。
もう何も見る事はできないし、感じることはできない。
得意だった対コンピュータ用の弾薬開発も、あれだけ可愛らしかった笑顔を見せてくれることもない。
アユ。
あたしが殺してしまった。
アユ、アユ、アユ……。
もともと戦闘に不向きだったのだ。戦線に出させたのも、今回が3度目だった。
2度あることは3度ある。
アユはそう言って今朝戦線に出ると言い張ったのだ。
2度生きていられたんだから、3度目の今日だって大丈夫だと。
アユは、そう言って、小さな体に大きな銃器を抱え、可愛く装飾した迷彩の帽子のツバを少し下ろしたのだ。ふわふわの髪が少しだけ揺れていた。笑うと、幼い表情なりに艶やかな唇が魅力的に少しだけ返る、無愛想で幹部であるスイコに臆する事もなく笑顔を向けてきた、そんな少女だった。
「スイコは、大分ヘコんでるみたいだよ」
人間部隊が宿舎にしているビルの、一番特級な部屋だ。
総督室。A00-M というルームプレート。
それでも部屋はさして明るくなく、かといって陰湿な匂いがするわけでもない。絨毯は赤く、電灯は天井の中央ではなくて部屋の壁沿いに6つスタンドが置いてあるだけだ。
奥に窓があって、ブラインドが閉められている。
総督であるツカサは恰幅が良く、顎鬚がある。眉はいつでも寄せられていて、野性的に目が光る。長く続くこの戦争で、一度片目を射られた。野性的な顔が、さらに険しく見えるのは、その無い片目の所為だと、イツヤは思っている。
厳格だが、部下を大事にできる人だと言われていた。
「コードR-JT002のことか」
「ああ、お友達だったみたいだからさ」
階級が上の総督に、右翼部長であるイツヤはまるで友人と会話するかのような口ぶりだ。
「友達か……」
「ああ、いい子だったよ。それに可愛かった」
「それは残念だったな」
ツカサは、無駄なことは言わない。
「またそれだ」
呆れたとでも言うような口ぶりのイツヤに、ツカサは顎を上げて、なんだと問う。
「アンタは、前もそうだったよ。俺の部下が死んだときも、スイコの部下が死んだときも。ちょっと前まで違ったよ。初めて左翼部隊の一隊が壊滅したときや、その埋めた屍骸がコンピュータたちに掘り返されて人工体にされたときは、手がつけられない程怒ったっていうのにさ」
ツカサは、不快そうに目を細め、眉を寄せた。
イツヤの言葉には、多少非難が籠もっている。
二人は、しばらく視線を交差させた。
「なぁ、アンタも余裕がないのか?」
「…………」
厳しい瞳が、イツヤを射る。
何を言う、とそう視線が言っているが、イツヤは視線を離さない。
「余裕、無いんだろ?」
今度は幾分柔らかい口調でイツヤはそう言った。
「俺もスイコも、他の奴等だってそうだ。スイコは言ってたよ、俺たちが負けるんじゃないかってさ」
「スイコが、そんなことを言っていたか」
「ああ、俺だってそろそろ弱音を吐いてもいいかい?」
「部下の前でなければな」
咽を小さく鳴らして、ツカサは言う。
ツカサがこうして笑うことなど、スイコ以上に少ない。
イツヤは、遺伝だと思っている。
そうしればきっと自分は、母親の血だろう。母親はきっと軟派な女だったのだろう。
「だろ? だから言いに来たんだよ。総督は俺の部下じゃない。俺の一つ上のお偉いさんだからさ」
イツヤは明るく笑った。
総督はさ、と、続ける。
「その点部下しかいないから、大変だよな」
ツカサは、ゆったりと瞼を閉じた。
「そうだな」
柔らかく、そう言った。
スイコは、冷たいカプセルの、ガラス部分に手を伸ばす。ひやりとした感触が、アユの最後のときを思いださせる。
自分の腕の中で冷たくなっていくアユ。
アユと自分は、友達だったと、スイコは思っている。
年齢は同じで、アユはコードが示す通り、右翼部隊の年少部隊の副隊長だった。スイコは年少部隊の隊長なので、パートナーと言える。イツヤの次の次くらいに、信頼できる人間だった。イツヤの次は、総督であるツカサなので、アユは3番目だ。
「アユ、あたし、前言ってたこと、提案してみようかと思ってるの」
それでも、先ほどイツヤに言った通り、沢山の犠牲を払うことになる。沢山じゃすまされない程の。
「ねぇ、アユ、あたし、決めたのよ。だって、アユが言ったのよね。それいいじゃないって、言ったよね」
誰にも口にしなかったこの案を、アユにだけこっそり話していた。沢山以上の犠牲が出る。でも、アユは一瞬とんでもないという顔をして、ぱっと笑ったのだ。
それって、おもしろそうだわ。きっと行けるわよ、スイコ!
今回の戦線でアユが死ななかったとする。それでも、この案を実行すればほぼ確実にアユは死んでいた。結局、死んでいた。でもアユは躊躇う事なくスイコの背中を押したのだ。
だから、とスイコはカプセルの中で永眠しているアユに言う。
今度は口に出さなかった。
あえて口に出すのは、不安だからだ。
自分の声を聞くことで、その不安を和らげるため。
死人に語りかけるのは、心の中でも充分届くだろうと、スイコはそう思った。
だから、提案するわ。アユ。あんたの死を変えてあげる。
ブラインドの向こうが、やけに眩しいなと感じたのは、そちらに背を向けて椅子に腰掛けていたツカサではなくて、イツヤだった。
ちかちかと小さく先ほどから何度も光るのだ。閉じられたブラインドの隙間から。
わずかに顔を顰めたイツヤに、ツカサはすぐ気がついた。
「どうした、イツヤ」
は、と何かに思い当たったのかイツヤは突然ツカサに向って赤い絨毯を蹴った。
「敵襲だ!」
「なんだと?」
ブラインドの向こうの窓ガラスが大きな音を立てて割れ、遠かった小さな光が、目の前に見えた。
「オヤジ! 伏せろ!」
スイコは、しばらくして先日死したアユの眠る霊安室から出て行った。
霊安室の扉を静かに閉じて、スイコは小さく溜息を吐く。
決心したとは言うものの、やはり沢山の犠牲を伴う自分の策には、やはり抵抗があった。母も父も兄も自分もこの世から消えてしまうかもしれない。
不意に、ガチャンと大きな音がした。
それがこの部屋よりもっと上の階からしたということに、スイコはぞくりとして顔を上げた。
反射的に、バタバタと駆け回る音。
音は、恐らく窓ガラスの割れた音だ。
窓は左右翼部隊長や間諜・補佐・参謀などの幹部の部屋にしか嵌め込まれていない。
「参謀長!」
廊下をばたばたと忙しく走ってきた間諜の生き残りの男が、スイコの姿を見て声を上げた。
「何があったの?」
スイコの声が、少しだけ焦りを含んだものとなる。
「夜襲です。総督室に最新自爆型の飛行コンピュータが2機、突入した模様」
「総督室…っ」
体中の血が、ざっと引いた。
スイコは連絡した男の傍を走り抜けて、総督室へと向った。
1段ずつ飛ばして階段を駆け上り、総督室へと向う。
心臓が大きく、口から飛び出てしまうのではないかという早さと存在感で大きく鼓動する。
総督室へと続く廊下へ出て、思わずスイコは足を止めた。
黒い煙が室内から飛び出ていて、集まった幹部の人間たちが、中に入るがために煙を払っている。近づきすぎると強く咳き込んでしまう。次々と生まれてくるその黒煙に、襲撃の被害の大きさが窺える。
からん、と金属の音がして、部屋から何かプロペラのようなものが飛び出してきた。それを強か脛にぶつけた左翼補佐の男が「いてっ」と少年のように声を上げて、足を上げた。間諜がすかさず証拠物件として常時身につけている白い手袋の手で拾い上げた。
どきどきしつつも、スイコは一歩ずつ、近づく。
「あ、右翼参謀長!」
右翼参謀長は間諜よりも位が高いので、間諜は慌てて敬礼した。スイコよりずっと年の上の男だ。
被害は?
総督は?
無事なの?
問いたいが、咽の奥から声が出ない。
煙が、少しずつ晴れてくる。
果敢にも室内へ入った男がいるらしい。
「総督は無事だ!」
その男が大きな声を上げたので、その場にいた者者は、わっと声を上げた。
スイコの胸にも、安堵の帆脳が、ちり、と灯る。
総督ツカサに肩を貸し、その男が出てくる。
「総督! 総督!」
「ご無事で何よりです!」
瞬く間にツカサのもとに何人か駆け寄る。
ツカサは左足を引き摺って入るものの、命に別状は無いようだ。
不意にスイコを見つけた。
スイコも、ツカサの視線を真摯に受け止め、小さく敬礼する。
「ご無事で何よりです、総督」
「スイコ」
普段呼ばれぬ名で、そう呼ばれて、スイコは慌てて顔を上げた。
普段、ツカサはスイコを、参謀長、と役職名で呼んだ。
「なんでしょう、総督」
ツカサは、眉を顰めた。不意にその視線が足元へと下がって、らしくないと思わせた。
「総督?」
スイコは重ねて言う。
ツカサが、その重い口を開こうとしたそのときだった。
「た、大変だ!」
室内から悲鳴にも近い声が聞こえてきて、その場にいた者たちは思わずビクリとした。
「右翼部長が!」
スイコは、はっとした。
え、とツカサを見る。
ツカサは、額を押さえて、鎮痛の面持ちをした。
「イツヤは、私を庇って……」
強く、息を吸い込んだ。
間があって、スイコは人を押しのけて、黒煙が晴れていく室内へと、飛び込んだ。
「!」
それから、思わず息を吸い込んだ。
中にいた男は、手をついて、唇を噛みしめている。
部屋の端に、右手首、それからスイコのすぐ足元に、所属部隊を示すコードナンバーのプレートが転がっている。
R00-M03M003 イツヤ・ムロイ。
「イ……、イツヤ!」
思わず駆け寄った。
「イツヤ! イツヤ!」
スイコの帽子が飛んで、長い髪が露になる。髪を振り乱して、スイコは体の節々を失ったイツヤに掛けよった。
一同、シンと静まり返った。
総督の無事を喜んでいた先ほどの一瞬が、嘘のようだ。
右翼部長であるイツヤは、もともと人望が熱かった。
その分、衝撃を受ける人数も半端ではないし、その一人一人の絶望感は、大それたものだった。
ツカサが、顎を上げて、そっと言った。
「右翼部より、1名戦線離脱。
R00-M03M003 イツヤ・ムロイの、死亡確認」
部隊の被害報告のセリフの型に当てはめた、それは無情に響く、総督自らの、幹部への報告であった。
堰を切ったように、スイコの瞳から、涙が溢れた。
それを始点に、次々とその場にいた幹部の男たちにも涙が浮く。
総督とて、例外じゃなかった。
「逸也……」
スイコはしゃくりあげた。
軍部に着任する際、名前を半分捨てる。
殉死して、やっとその捨てた半分を取り戻せる。
捨てるのは、親が愛情込めて子につけた、その漢字だ。
アユ・タツミは辰巳歩結へ。
イツヤ・ムロイは室井逸也へ。
イツヤの名前は、今、総督であるツカサ・ムロイの元へ帰ってきた。
ひとしきり泣いたあと、スイコは涙の跡を強く擦って、ツカサの前まで戻ってきた。
「父さん… お願い、軍部会議を……」
「おい、何をこんなときに…!」
スイコを諌める左翼部隊長を、ツカサが制した。
「あたしに、提案があります。今実行しないと、あたしが、おかしくなっちゃう。お願い、お願いします。うまく行けば、イツヤも、アユも、今まで死んだ全ての人が、戻ってくるから…、下手をすれば、ここにいる全ての人が死ぬけど、それでも、お願い、聞いて」
「この場に、幹部は全員いるだろう。ここで言ってみろ」
異例の軍部会議が始まった。
会議室ではない、この廊下で。
幹部以外の人間も聞いている。騒ぎを聞きつけた部下達がぞくぞくと駆けつけていたのだ。その場に、生存する34名の人間がいる。
スイコは、深呼吸をして心を落ち着けた。
ずっと前に、まだ人人がたくさん生存していた、対コンピュータ戦が開始したばかりの頃。スイコの母の祖父は歴史学者だった。たっぷりと蓄えた白髭が、幼いスイコにとっては魅力的だった。えらい人だと、そんな感じがしたのだ。
その老人は、日本の歴史の話をしてくれた。
「ねぇ、おじいさま。こんな戦争やめるには、どうしたらいいのかなぁ」
小さなスイコの頭を、祖父は撫でた。
「どうしたらええかのぅ、コンピュータが普及する前の時期にどうにかしちょったらえぇんじゃろうなぁ」
「この時代にコンピュータに頼りたくはないけど、私は調べたの。日本は一時期鎖国だという時代があったのよ。300年以上もずっと前の時期。その時期、日本は今に近いくらいの革命があったわ。私、思ったの。そのとき開国という方向に日本がいかなかったらどうだろう、って。コンピュータは、日本は作り出したものじゃないわ。一番初めにコンピュータの叛乱があった国や、今は人口がたった5人の国たちよ」
みな、じっとスイコの話を聞いていた。
「開国を、阻止しに行きましょう。少なくともそれで日本は、この戦争にあわなくて済むわ。少なくとも、遅らせることは」
ざわ、と一部がざわめいた。
総督ツカサは黙っている。
「遅れても、結局いつか日本が開国したら終わりじゃありませんか、右翼参謀」
「その対策は、あたしたちじゃない新しい未来人に考えてもらえばいいのよ。数人、いえ、誰か一人でもいい、誰かを過去へ派遣して、開国を阻止する。そのときに、過去で今の惨状を何かしらの形で伝えて、あらかじめ対策を練ってもらうの」
「歴史を、いじるか」
ツカサが口を開いて、スイコはツカサを見る。
じっと二つの、よく似た瞳が向かい合う。
「あたしたちは、消えてしまうかもしれない」
だって、この場にいるものの大半は、大量生産された子供だ。
総督は、違う。総督は、例の3人の女に精子を提供した一人だ。室井は、そうして二人の子供を作った。長男・と、長女・。
「だけど、このまま日本がコンピュータに乗っ取られるよりはずっといいでしょう? 他の国もろとも助けるわけにはいかないけど、今だって平穏に暮らせている人はいるわ。彼らは傍観に徹しているけど。過去に行くのが不安なら、私が行くわ。私が日本の平穏を取り戻してくるわ」
スイコの多弁に、一同は結局静まり返った。
「俺、消えるのやだよ」
後ろの方から、左翼部の年少隊の少年が言った。スイコはその少年に近づき、見下ろした。十歳ほどの、少年だった。少年は、でも、と顔を上げて、スイコを見た。
「俺、父さんと母さんがいるとこに、生きてたいと思うから、難しいことよくわかんねぇけど…、いいと思う」
スイコは、目元だけで笑った。軽く少年の頭を撫でてから、背筋を伸ばす。
「うまく行けば、あなたたちは平穏な未来の日本に生まれることができるかもしれない。下手をすれば、生まれないかもしれない。でも、私はそれでも構わない。安心して暮らせる日本があれば、それでいいと思うの。」
「おいおい、それじゃあイヤだって言ったら情けねえじゃねえか」
「そうね、軍部に入った人間ってのは、その時点に命を日本に捧げてるのよ。今更自分の体惜しさに右翼部補佐の意見に逆らえないわ」
苦笑する声が、起こった。
今さらだ。どうせいなくなるなら日本のためにいなくなろうぜ。
そんな声が行き交う。
しばらくスイコもツカサもあたりの反応を窺ってから、ツカサは制すように片手を上げた。
ピタリと喧騒が止む。
「任務を言い渡そうか、R03-JM001」
「は、」
スイコは敬礼し、ツカサの瞳を見る。
「君を過去へと派遣する。必ずや、開国を阻止してくれ」
「イエス・サー・お任せを」
スイコは小さく微笑んできびきびと礼すると、辺りがまたわっとなった。
みな、賛成のようだ。
ツカサは、スイコの細い肩を、叩いた。
「スイコ、私はお前のような娘を誇りに思おう」
「あたしは、いつだって父さんのことを尊敬してます」
完
高校1年のときに書いたような気がする。
これは、もう一人の女の子視点の話も書こうとしてやめたやつだなぁ。
めんどうで